01 Feb 日本 IBM 社長 ポール与那嶺 竹中征夫さんの教え

日本 IBM 社長 ポール与那嶺 竹中征夫さんの教え。

Paul Yonamine, President of IBM Japan「サムライ会計士」と呼ばれた上司の竹中征夫さん(左)と

1979年、ピート・マーウィック・ミッチェル会計事務所(現KPMG)で、最初に配属されたのは米ロサンゼルス市の日本関連事業部だ。私を含め7人の会計士が地方銀行など次々進出する日本企業を担当し、会計監査や確定申告書の作成など何でもこなした。

上司は「サムライ会計士」という本にまでなった竹中征夫さん。厳しい人で、若く独身だった私にクラブのような飲食店への出入りを許可せず、週1回の営業報告も厳しく指導された。

よく言われたのは顧客と会って課題を理解しろということ。数字や書類を「合ってます、違います」という会計監査ではなく、悩みを解決する相談相手だ。夜も営業のようなもので、まだ慣れていない顧客企業の駐在員に新しいレストランを紹介したり、ちょっとした通訳をしたり。とにかく走り回った。

90年代に入り、日本企業の米国進出も本格的になった。大型システムが必要になり、日本企業の本社と直接交渉しないと営業にならない時代になった。当時、監査法人はコンサルティングを含め何でもやっていた。20年選手になっていた私はKPMGコンサルティングの日本法人を設立し、99年に社長に就いた。家族とともに東京に移り住み、経営者としての仕事が始まった。

ほんの数人で立ち上げたので、最初はそれこそ日本IBMにどう対抗するか、などと考えていた。少ない経営資源を独SAPのシステム導入支援などに絞り込んだところ、これが成功した。従業員が増え、事業は軌道に乗り出した。

01年ごろに米国でエンロン事件が発生し、粉飾に関与した大手会計事務所のアーサー・アンダーセンが解散に追い込まれた。私は3カ月間の激しい買収合戦の末、アンダーセンの日本やアジアのコンサル部門を取得。従業員は400人から3500人に一気に増えた。

しかし、急拡大したことで足元を固める余裕を失ってしまい、担当する中国とオーストラリアで粉飾決算が起きた。KPMGコンサルティングの経営もきしみ始め、結局は米連邦破産法第11条(チャプター11)の適用を申請する事態を迎えてしまった。

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